広島県(ひろしまけん)は日本の本州の西端の中国地方に位置し、瀬戸内海に面した県。瀬戸内海には大小合わせて約140個の島を有す。全国47都道府県の中で12番目に人口が多く、県庁所在地の広島市は、中四国地方最大の都市であると共に、中四国唯一の政令指定都市でもある。県内西部には、2ヶ所もの世界文化遺産があり、外国からの観光客も多い。
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概要
広島都市圏と備後都市圏を中心とする工業(自動車産業)・商業を中心に、海、山の豊富な自然にも恵まれ、農業・漁業も盛んである。このため日本の縮図と呼ばれる。
旧国制に倣い、大まかに県西部を「安芸」、県東部を「備後」と呼び、現在でも方言・文化的に大きな違いを見せる(方言については広島弁・備後弁を参照のこと)。
近年の広島県の施策では、有する都市機能と生活圏などから、広島圏域(県西部)、備後圏域(県東部)、備北圏域(県北東部)の3つにわける場合も多い。 |
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2つの世界遺産である安芸の宮島と原爆ドームを有し、世界初の核攻撃を受けた都市でもあることから、国際的な知名度も高い(特にアメリカ)。
県庁の変遷
廃藩置県により発足した広島県庁は、発足後しばらくは広島城内に置かれていたが、1873年には小町の国泰寺を仮庁舎として移転した。しかし3年後失火により庁舎が全焼したため、寺町の仏護寺への一時移転を経て1878年4月、水主町の与楽園に隣接する地に本庁舎が新築、1945年8月6日原爆で壊滅するまでこの地に存続した。被爆当日の夕方には、たまたま福山市への出張により難を逃れていた高野源進知事を中心に比治山多聞院に臨時県防空本部が設けられ翌日には東警察署(現・中区銀山町)に移転した。戦後1946年6月になって庁舎は霞町(南区)の陸軍兵器補給廠跡地(現在の広島大学霞キャンパス
/ 医学部・附属病院)に置かれたのち、1956年4月現在地の基町(中区)に移転した。
産業
戦時中の日本陸軍・海軍の主要拠点が置かれた広島県は、呉の海軍工廠を始め多くの軍需施設が置かれ、戦後もそれらに携わった技術者・職人らによって技術が継承されモノ作りが盛んである。自動車・造船、そしてのちに加わった鉄鋼の御三家を中心に、瀬戸内海工業地帯の中核として発展、1994年までは工業出荷額で、関西以西、中四国・九州の西日本17県でトップを維持したが、バブル景気の崩壊でこうした重厚長産業はもろに影響を受け、三社の自動車メーカーの工場などを誘致した福岡県に製造品出荷額等で抜かれた。しかし近年の景気の回復、及び中国特需でこれらの業種は空前の好景気を記録、2004年の製造業出荷額は、6.3%増の7兆
4153億円、製造品出荷額等は5.7%増の計21兆7468億円と、10年ぶりに福岡県を抜き関西以西でトップに返り咲いた。また重厚長産業に偏重した反省から、半導体製造のエルピーダメモリや日東電工などIT・デジタル関連機器メーカーを積極的に誘致し対応を図り、全体的にはバランスのよい産業構造になっては来ている。しかしながら景気がいいのは大企業と関連会社が多く、バブル期の融資でつまずいた金融業、また規制緩和の影響を受ける輸送業、外国からの安価な原料に苦しむ製造業など、その他中小企業の景気回復は遅れている。明治以降、広島市に大本営が置かれてから今日までの、広島市を中心としたエリアのドラスティックな歴史が、同じく明治以降の日本の歴史とシンクロされるため、近年経済誌でよく特集を組まれている。県東部の備後地方は常石造船に代表される造船業、昭和30年代に立地した世界最大規模の製鉄所JFE西日本製鉄所福山地区を代表とする鉄鋼業、シャープ福山工場を代表とするIC・半導体産業、古くからの地場産業である繊維産業が集積している。
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