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福島県(ふくしまけん)は、東北地方南部、太平洋に面する県。

概要

面積が大きく、また山脈により分断されているため、大きく浜通り、中通り、会津の3地域に分けられる。

人口の大きな自治体は、人口順にいわき市、郡山市、福島市となっているが、3市とも30万人前後である。商業統計では郡山市・いわき市・福島市の順、都市圏人口では郡山都市圏、福島都市圏、いわき都市圏の順である。3市はそれぞれの分野に特化し、行政機能が集中する福島市、経済・交通の中枢で商業・内陸工業・流通都市となっている郡山市、莫大な面積を持ち工業・観光に特化するいわき市となっている。また、会津地方の中心都市で史跡旧跡が多く存在する歴史都市会津若松市も上記3都市に比べ小規模ながら重要な地点となっている。

県名の福島は、福島城からとられた。
 
歴史

江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城、 二本松藩、棚倉藩、相馬中村藩、三春藩、磐城平藩、福島藩、泉藩湯長谷藩、 下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に幕府直轄地となった白河城、現在の相馬市内にあり、 仙台藩の支城となった駒ヶ峯城があり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。 明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、 陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、 西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。 岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。 磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、 刈田郡)にほぼ相当する。1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、 同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、 岩城国の中通り地方が二本松県(二本松県になって、わずか12日間後に福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、 磐城国はほぼそのまま磐前(いわさき)県の3つの県として統合された。二本松県は間もなく福島県と改称し、 1876年(明治9年)に若松県、磐前県と合併して新しい福島県となった。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、 刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、 現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、 1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの間に、あわただしく行われた。 (誤解されがちだが江戸時代には公式に「藩」という制度はなく、藩は版籍奉還によって明治2年に制定された制度である)

  • 福島県会津地方の北西部、三国岳から飯豊山に、ひげのように細長く延びている県域がある。 これは福島県側の地域住民の信仰上の理由で、ご神体となる飯豊山への参道を確保したためである。
  • 福島県南部を「いわき」、中西部を「いわしろ」と呼ぶのは古代からの呼称である。現在、 福島県域は岩盤が固くて地震が少ないから「岩城」の国と呼ぶ、という説があるが、 これは「いわしろ」に「岩城」という文字を当てたために生まれた俗説である。 歴史的には(奈良の都から見て)「いわき」の「うしろ」にあるから「いわしろ」と呼ばれるようになったと思われる(京都地方を山城(やましろ :山背)国と呼ぶのと同じ)。この説では「いわしろ」の表記は「岩背」または「磐背」が本来であり、現在に残る地名「岩瀬」(いわせ)、 岩代(いわしろ)とも通じる。
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