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福井県(ふくいけん)は、若狭湾に面する、日本の県の一つである。
概要
山中峠~木ノ芽峠~栃ノ木峠の稜線を境にして、北側の嶺北(越前地方)と、南側の嶺南(若狭地方)より構成される。
越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように、自然が美しい場所であり、それを代表する語に越山若水(えつざんじゃくすい)がある。
一般的には、北陸地方と近畿地方の、両方に分類される事が多い。しかし、中央省庁や企業のエリア区分では、北陸地方に入れられる場合、近畿地方に入れられる場合、中部地方に入れられる場合の3パターンが混在している。これらのエリア区分については「#福井県の分類」を参照。
2006年3月上旬以後は、嶺南が福井県から離脱して、道州制でも嶺南は近畿州に加入しようという動きが出始めている。 |
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地域的特徴
福井県は若狭湾に面している為、全域共に、京都府(旧山城国、旧丹波国、旧丹後国)、滋賀県(旧近江国)、岐阜県南部(旧美濃国)との親和性が強く、京阪神志向が強い。しかし、木ノ芽峠を境にして、嶺北(越前地方)と嶺南(若狭地方)では、地域的連関が大きく異なっている。
嶺北(越前地方)は、近畿の一部という意識に加えて、「越前」の字義が「越国の前の方」を意味する通り、北陸の一部であるという意識も見られ、石川県などとの繋がりも有る。
これに対して、嶺南(若狭地方)は、木ノ芽峠より南側に位置しており、滋賀県・京都府・岐阜県南部・奈良県との繋がりが深く、嶺北との繋がりが浅い点から、北陸ではなく近畿の一部であるという意識が強い。
廃藩置県以後の経緯を見ると、当初は嶺北は足羽県、嶺南は敦賀県という単独の県だったが、1873年1月14日に足羽県と敦賀県は合併させられ、現在の福井県と同じ範囲で敦賀県とされた。1876年8月21日に敦賀県が分割された時に、嶺北は石川県に編入され、嶺南は滋賀県に編入された。
しかし、1881年2月7日には、石川県から嶺北が分離されて足羽県が復活するが、この時に嶺南は滋賀県から分離され、嶺北と合併させられた。嶺南が滋賀県から分離された時、当時の篭手田安定・滋賀県知事が嶺南の分離に反対し、嶺南でも滋賀県への復帰運動が起こった[1]。この要因として、嶺南と滋賀県の両地域が、畿内(京都・奈良・大阪)に近い為に、古くから畿内との交流が深い点を共有する為だと思われる[2]。
福井県の発足から120年を過ぎた現在でも、嶺北の交通網は比較的早く整備されたのに対して、嶺南の交通網の整備は遅れている。実際に、敦賀から福知山を経由して阪神を結ぶ舞鶴若狭自動車道の全通は、2014年の予定になっている。
これらの経緯から、嶺南の敦賀市や小浜市では、市長たちが福井県からの分離を主張している。
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