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会津若松市(あいづわかまつし)は、福島県西部(会津地方)に位置する都市で、会津地方の中心都市である。
概要
江戸時代には会津藩の城下町として盛え、現在でも鶴ヶ城や白虎隊など、歴史上の事物が観光資源として有名である。会津地方の中心都市。会津若松市を中心とする会津若松都市圏の人口は約19万人(2000年都市雇用圏)。
会津や若松と省略して呼ばれることもある。
地理
会津若松市は、福島県西部一帯を占める会津地方の中心都市で、市街地は会津盆地の南東部に位置する。市域全体では、市街地の南に広がる広大な山地も市域に含まれ、最南端は芦ノ牧温泉などのある大戸岳周辺まで市域に収める。東側は猪苗代湖の約3割が市域に含まれ、猪苗代町や郡山市と接する。北、西は会津盆地内の市町村と隣接する。
- 山:大戸岳(1416m)、七曲山、背あぶり山
- 川:阿賀川(大川)、日橋川(堂島川)、湯川
- 湖沼:猪苗代湖、鍋沼、若郷湖、東山ダム湖
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江戸時代まで
市内一箕町にある大塚山古墳は4世紀後半に造営されたものである。出土品の三角縁神獣鏡は畿内で鋳造されたものと同一と推定されている。
都市としての会津若松市の起源は、1384年(至徳元年)の、蘆名直盛による黒川城築城に遡る。以降、城下町黒川は、戦国大名蘆名氏の領国支配の拠点として、また当時奥州最大の都市として発展を遂げていった。
1589年(天正17年)、伊達政宗のもとで勢力を拡大する伊達氏が芦名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地とした。しかし翌1590年(天正18年)、豊臣秀吉の奥州仕置により黒川は伊達氏から取り上げられ、代わって蒲生氏郷が入封した。氏郷は楽市楽座の施行、手工業の振興、黒川城の近代城郭への改修などに功績を残し、また黒川という地名を若松と改めた。
氏郷の死後、上杉景勝が入封するが、関ヶ原の役で徳川家康に敵対して敗れ、米沢へ移封となった。その後、蒲生秀行、加藤嘉明などの領主を経て、1643年に徳川秀忠の子保科正之が入封して会津松平家の祖となり、以後若松は会津藩の城下町として栄えた。
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