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八戸市(はちのへし)は、青森県東南部に位置し、太平洋に面する特例市で、県下第二の都市である。
概要
八戸市は南部地方の中心都市であり、八戸都市圏は約33万人の人口を擁する。商圏は隣接する岩手県北東部にも及び、東北地方でも有数の約60万人の商圏人口を誇っている。
伝統芸能であるえんぶり(朳)は昭和54年(1979年)に、八戸三社大祭は平成16年(2004年)2月に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
2002年12月に東北新幹線が八戸駅まで延伸開業。東京駅まで最短2時間56分で結ばれる。
地理
- 山:
- 河川: 馬渕川、五戸川、奥入瀬川、新井田川
- 湖沼:
歴史
縄文時代の遺跡として是川遺跡や風張遺跡がある。風張遺跡からは縄文時代後期の米粒が出土している。また、是川遺跡からは数々の工芸品が出土している。その後南部氏が治めるようになるまで蝦夷の土地であり、律令制の及ばない地であった。 |
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建久2年(1191年)、甲斐国の南部氏が北東北一帯を源頼朝から賜ったとされているが、南部氏が実際に北東北に移ってきたのは南北朝時代である。建武元年(1334年)、南部氏分家の南部師行が根城を築き、根城南部氏の祖となった。根城南部氏は寛永4年(1627年)、本家盛岡南部氏の命により遠野に居城を移した。寛文4年(1664年)、南部重直が世継ぎを決めずに亡くなったため南部藩は御家断絶となる。幕府は南部藩10万石を八戸2万石と盛岡8万石に分け、八戸藩を南部直房に与え八戸城が築かれた。これが八戸藩の始まりである。なお、八戸藩の領地と現在の八戸市の領域にはかなり違いがあり、久慈市あたりまでが八戸藩であった。
八戸城は現在の三八城公園にあった。城下町には三日町、十三日町など市の立つ日を名前とした街が並んでおり、現在も市の中心地となっている。
現在の八戸駅は、東北本線開業当時(1891年)は尻内駅と呼ばれており、市の中心部を通っていなかった。これは鉄道の開通によって疫病などが運ばれてくることを恐れたためと言われている。
港町である八戸市は、港湾と共に発展してきた。八戸藩誕生のころ、八戸の港は鮫浦と呼ばれる漁港であった。また、新井田川河口は湊川口と呼ばれ、こちらも漁港および商港として重要な拠点であった。大正4年(1915年)、鮫浦港修築工事が開始され、昭和4年(1929年)に商港に指定されると鮫浦と湊川口を合わせて八戸港と呼ぶようになった。
また、八戸市には馬渕川と新井田川という二本の河川が流れているが、特に馬渕川は蛇行が激しく流量も多いため、水害の多い河川であった。特に河口部分で馬渕川が大きく曲がって新井田川と合流するような形で太平洋に注ぎ込んでいた。昭和12年(1937年)、馬渕川の改修工事(河口付近の直線化)が開始されたが難航し、戦争のために中断。昭和24年(1949年)に工事が軌道に乗り、昭和36年(1961年)に完成した。これにより水害がなくなり、臨海地域を工業地帯として利用可能となった。
昭和36年(1961年)に新産業都市に指定されると臨海部に火力発電所、製紙業、非鉄金属工業などの工場が相次いで進出し、工業港としての整備が本格化した。
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