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豊橋市(とよはしし)は、愛知県の南東部にある都市で、東三河地方の中心都市である。東三河の人口の約半数を占める中核市である。1906年に市制施行。ヤマサのちくわと路面電車の街として知られる。

概要

中世から江戸時代まで市の中央域は吉田(よしだ)と呼ばれていた(吉田という地名は、当時全国各地にあったため、三州吉田と呼ばれることが多かった。また、明治維新後も同様の理由で、明治政府から全国にあって紛らわしいとのことから、改名を要求され、豊橋としている。吉良町の名鉄吉良吉田駅のほうが現存の名前としては著名。)

吉田は豊川と朝倉川の合流地点であり、渥美郡、宝飯郡、そして八名郡の境目に当たる。江戸時代には 吉田藩の城下町、吉田宿の宿場町、豊川水運で栄えた湊町であった。1869年(明治2年)6月の版籍奉還で、吉田から豊橋に改称した。

市徽章は、徳川時代末、吉田城に八代君臨した長沢・松平・大河内(ながさわ・まつだいら・おおこうち)家が用いていた徽章の千切(ちぎり)である。

市民は、「豊橋」を「とよはし」ではなく「とよはし」と平板に発音することが多い。
 

東三河の人口の過半数を占める中核市であるが、昼夜間人口比率は99.6%と100%を切っている。 人口は、現在愛知県第3位だが、一宮市、岡崎市ともわずかな差である。

三河港と豊川用水を擁し、貿易港と農業を主軸とする。16世紀の吉田城(今橋城)建築以来、東三河の中心に台頭し、江戸時代は特に、三州吉田藩の城下町、東海道53次の吉田宿・二川宿があり、幕末には7万石と岡崎藩・西尾藩を超え、旧三河国内では最大の勢力であったもよう。

豊橋の名につき以下に述べる。明治新政府は当時の三河国吉田藩の藩名が伊予国吉田藩(宇和島藩の支藩)(旧愛媛県北宇和郡吉田町、現愛媛県宇和島市)に似て紛らわしいとのことで藩名変更の命を下した。その命を受け藩主は「豊橋、関屋、今橋」の三つの名を選んだ。新政府はその一番目の「豊橋」を採用して、正式に「豊橋藩」と言う藩名とすることを命じた。その後廃藩置県の後も豊橋の名が使われる。


 
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